ルーツ

こちらの写真は昭和57年ころ開店当時のもくもくハウスです。
本日、看板の塗装している様子、土台がグレーになっています。
こちらは看板があるときの写真です。
看板を外した直後、ぎゅっと台座が縮んでいます。

道の駅津山もくもくランドの工事状況。先週末、看板の撤去がありました。平成15年に産直センター(扇型の建物名)オープン時に「クラフトショップもくもくハウス」の屋根につけた看板は、点検や補修工事をしながら今日に至っています。思いおこせば昭和57年。国道45号線、三角屋根の「クラフトショップもくもくハウス」からスタートして、オープン当時は名前もなく、、の始まりでした。その後、公募してついた愛らしい名前が「もくもくハウス」という店舗名です。
当時は三角屋根に看板がついていました。店舗も国道沿いにひとつだけでした。昭和58年には常陸宮さまと華子さまがご訪問され、黒柿の茶たくにお茶をお出しして話題となりました。
さて、その後、全国からの視察やお客様、観光客も増え、駐車場も狭いことから、敷地面積を1.9ヘクタールに広げ、現在の仮店舗が入っている丸い屋根の物産館(合理化センター)と丸い広場ができました。昭和63年完成。その時に施設全体の名称を「もくもくランド」と名付けるようになりました。平成6年に道の駅認定され、「道の駅津山もくもくランド」と全体の名称が変化していきました。その後産直直売が加わり、平成15年には、更に敷地と農村公園まで入れると、3.8ヘクタールまで拡張して扇型の建物である産直センターのオープンになりました。平成になり、ふるさと創生1億円事業や地産地消の言葉が生まれ、全国に町おこし、村おこしが次々始まったのを記憶します。それ以前から町おこしを始めた津山町の産業は、当時は「地場産業」とよんでいました。全国から視察対応に追われていた町の職員は、親切丁寧に木工加工センターや集成材の作り方など、見学を受け入れ、その後、全国に、九州、四国、岡山、奈良、岐阜、青森、、などもくもくハウスらしき似たような名称、集成材加工施設などが増えたとう逸話があります。津山町は林業の町として、小径木加工組合や木材出荷施設、国産材加工施設、ウッデイ津山などをつくり、林業育成、加工、販売、活用に力を注いできました。現在の施設があるのはその歴史の積み重ねであります。昨年の朝ドラ「おかえりモネ」効果もあり、「もくもくハウス」ネットの検索数をみてびっくり!しています。桁数があまりに多くて、数えられませんでした。また同じく木工品の問い合わせやご注文にもネットのお客様、どんどん増えています。今はどこにいても注文や買い物ができる時代ですので、昭和のころとは全く違います。ただ日々、変化する情報と向き合いながら勉強する姿勢は今後、更に必要になってきます。そんなことを考えまた、歴史も重んじて次なる「これから」を模索しています。
さて、看板はどんな風に、何がつくか、、お楽しみですね♪